休めていますか?
「うつ病」にとって一番大切な事、それは
休むという事
休むと言っても様々な休み方があります。
体を休める、心を休める。
仕事を休む、早く寝る、趣味に没頭する。
テレビを見て笑うのも良いでしょう。
ゲームをして現実を忘れるのも良いでしょう。
しかし、その先にある仕事に復帰すると言う目的を忘れる事はありません。
元々、考えすぎて嫌になり「うつ病」となってしまったのです。何も考えていない様で考えているという事が多くあると思います。
明日の出来事です。
「仕事を休職して休みなさい」
そう伝えられた時、あなたは何が浮かびますか?
「やっと休める」とホッとしますか?
「休んで何しようかな」ワクワクしますか?
鬱となった人が一番に思いつく事それは不安です。
恐らく鬱の人は納得できると思います。
休職が決まって私はよく言われていました。
「長期で休めるなんて羨ましい」
確かに、通常の状態なら跳んで喜ぶことでしょう。
ですが、私は病気で休むのだという事を考えてくれない言葉は、思ったよりも多くの方に言われます。
「せっかくなんだからゆっくりと休めば良い」
嬉しい言葉、優しい言葉に聞こえますが社会人にはそう聞こえません。
特に「うつ病」になるほど悩んで考えてる人には、
「別に君が居なくても平気だから」
「君の穴埋めで苦労するのは俺達なんだからな」
その様な言葉が見え隠れしてしまうのです。
そんな事を考えて発言していないと思っても、頭の片隅ではその様に考えているのではないか?
そう勘ぐってしまうのです。
社会人となり、会社で働くという事はそのポジションを死守しなければならないと言う使命感が常に付いて回ります。
どんどん新入社員が入って来る、常に競争が発生している会社と言う戦場の中、休む事など許されるのでしょうか?
一度、事業主となって考えてみてください。
「うつ病」で休職をしてしまった人を使い続けようと思えますか?
答えはNOでしょう。代わりに使える人を軸に考える事になると思います。
8時間で50%の仕事を熟す人。
8時間で85%の仕事を熟す人。
事業主のあなたならどちらを使いますか?
ましてや休職となり傷病手当を払うとします。
生産率0%の社員に十数万の給与を払う。
無駄なコストだと考えてしまっても仕方のない事なのかもしれません。
会社の命運が掛かっているのですから尚の事、事業主に妥協など許されないのです。
私も傷病手当を頂いていた時、言われました。
勤労、上司に
「何もしないでお金を貰っている事を忘れない様に、ゆっくり休んでくれ」
「復職したら恩返しするんだぞ、それまではゆっくり休めば良いから」
診察してもらっていた医者に
「休んで手当貰ってるなんておかしいと思うでしょ?良い会社じゃないか。だからしっかり休んで早く復職出来ると良いな」
似たような言葉を貰った方は沢山いると思います。
私は言いたい、
そんな風に言われて、ゆっくりと休めるわけないだろう?
家に居ても、好きな事をしても、寝ようとしていても、どんな時でも頭によぎる。
・早く復帰しなければ居場所がなくなる。
・俺は必要のない人間なんだ、俺の居場所など無い。
「休んでいいよ」=「君はもう必要ないよ」
同義語として使われている会社は多いと思います。
それが日本の社会と言うものだと私は理解しました。
会社の仲間と思っていた人も次第に離れていきます。
「俺が仕事で大変な思いをしているのに、なんで休んでいるあいつが同じように給与を貰ってやがるんだ?」そう考えて行くのでしょう。
私は、長い休職生活の果てに復職を果たしました。
戻ってきた職場に仲間など居ませんでした。
そこに居たのは只の他人だけです。
表向きは社交辞令で話すだけ、社会人の知り合いがいるだけです。
そんな状態に、耐えられるわけ無いでしょう?
こんにちわ、アナザーです。
私は休職を言い渡されて「自宅待機」で休もうとしました。この考え方は見事に失敗します。自宅にいると仕事の事を考えざるを得ないのです。これでは休めません。この経験から「温泉旅行」を強くお勧めしたいと思います。旅行なら何でもいいんですけどね。コロナが心配な方も多いと思いますので、ドライブだけでも十分です。大事なのは「普段の生活から外れる」と言う事では無いでしょうか?出来るだけ日常とは離れて、視野を広げてみてください。↓
日本は素晴らしい国だと思います。
しかし日本の社会は恐ろしい所でもあります。
耐えきれなくなった人はそのまま落ちるしかないのでしょうか?
生きて行く資格は無いのでしょうか?
私は問います。
私達を「うつ病」に追い込んだ、加害者の会社には御咎め無しで、なぜ苦しんでいる被害者がさらに苦しまなきゃいけないのでしょうか?
仕事を辞めたい、もう生きていたくない。
そう考えてる人は山ほどいらっしゃると思います。
私もその一人です。
仕事をしないのではなく、その仕事を続けたから病気になってしまった、既に限界を超えて戦い続けた人が溢した弱音を、加害者たちは嘲笑うのです。
「サボりたいだけ」「情けない」「根性なし」
悔しくてたまりません、、、
しかし仕事を辞めた今、人を傷つけるだけの言葉の中に違う気持ちが含まれているような気がしました。
次回は退職して見えてきた世界について話してみたいと思います。
当事苦しんでいたあの頃の私では見えなかった視点が浮き彫りになりました。
次回も読んで頂けたら嬉しく思います。